こんにちは!
ノアです
今回は私が北海道で生活していて
北海道の先住民であるアイヌの人が
どのように自分の周囲にいたのかを
お話します
このシリーズの記事
先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか vol.1
先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか vol.2
先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか vol.3
先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか vol.4
先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか vol.5
はじめてのアイヌ人との出会い
私がアイヌの人を
はじめて知ったのは
7歳の秋です
その切っ掛けは
なんと観光でした
父が連れて行ってくれた
阿寒湖温泉の土産物屋の店先で
クマの木彫りを彫ったり
見たことのない服装で
踊ったり
「あの人たちは
アイヌと言って
もともと北海道にいた
人たちだぞ」
父がそう教えてくれました
ずっと北海道にいたのに
私は6歳まで
札幌市にいました
比較的中心街に近い
地域に住んでいましたが
周囲にアイヌ人がいなかったのか
あるいはアイヌ人であることを
かくして生活している人が
近くにいたのか
知る術はありません
とにかく私の幼少期に
アイヌ人の影が見えないので
私にとって彼らは
観光地で知らない言葉で
歌を歌ったり
踊ったりする人たちでした
コタンと呼ばれる
アイヌ人の集落が近くにあったり
生活圏で共生していなければ
多くの北海道の人は
私と同じような
ものだと思います
名乗り出ない人たち
北海道アイヌ協会では
前身の「北海道ウタリ協会」の頃から
その歴史や文化や言葉を
掘り起こすために
地道な調査を
重ねてきましたが
同じ民族の調査に対しても
アイヌ人であることを
名乗り出ない人たちが
たくさんいるようです
私はアイヌ人について
特別詳しいわけではないのですが
理由は幾つか考えられます
ひとつには
北海道に移住してきた
支配する人々に
住み慣れた豊かな地から
追い出されたこと
アイヌ人と知られたら
また住処から追われるのでは
という不安
ふたつ目は
アイヌ人ということだけで
支配される側として
時に奴隷のように扱われた歴史
みっつ目は
『北海道旧土人保護法』という
明治時代にできた法律で
アイヌ人を日本人として
教育して日本人に
同化していく
という名目のもとで
長い間時を重ねてきたこと
よっつ目は
そもそも和人は
アイヌ人に対して
誠意などなく
信じても騙されることを
くり返された歴史が
存在すること
つまり自分はアイヌ人だと
表明したとしても
いいことは何もない
などなど和人との長い歴史が
「呪い」を強固なものとし
今もその「呪い」にしばりつけられて
いるのです
過去のことと言えない
アイヌの人たちは
もともと狩猟民族で
豊かな自然に感謝し
周囲の自然に神々を宿し
平和に暮らしていました
それがいつの間にか
侵入してきた和人に
騙され支配され
豊かな地から追われ
挙句の果てに
日本人として
教育するという
「保護」のもと
言葉も文化も
なくしていったのです
彼らから見ると
私は奪った側に位置しています
信頼関係を築いたり
平等な話し合いをしたくても
どこかですれ違ってしまう
何度か経験した
そんなすれ違いを
「過去に縛られている」とか
「もうそんな時代じゃない」などと
言うことはできませんでしたし
今もそう言うことができません
それを証明するように
この3月にも
ある事件が起きたのです
次回はその「事件」を
お話します
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