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先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか Vol.2

こんにちは!
ノアです

前回の記事

Hさんのことを
お話しました

 

今回も続きます

この記事のシリーズ

先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか vol.1

先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか vol.2

先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか vol.3

先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか vol.4

先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか vol.5

 

 

北海道の4月末

ゴールデンウィーク目前

4月末の北海道は

まだ寒い日もあり
時には雪がちらつきますが

晴れ渡る日も多く

 

雪と寒さに閉ざされた
冬からの解放感が
気持ちを湧きたてる

そんな季節です

 

私がはじめて
Hさんの家を探して
車を走らせたのも

奇麗に晴れた日でした

 

「とにかくこの道を
走って行くと

突き当たるから

そこを右に行くと
ほかに家はないし
すぐにわかるよ」

 

前任者からは地図を示して
そう言われていました

 

 

池の中の家

集落を過ぎて
家並みが途切れ

 

少し畑地があったあとは

 

ひたすら谷地
(アイヌ語では湿地のこと)

 

 

家らしい家もないまま
T字路を右折

 

そこから車でさらに3~4分

左側に池が現れ

 

Hさんの家は
すぐにわかりました

 

道路から少しくぼんだ
家屋のある敷地

 

そこ以外家の周囲はほとんど
池だったのです

 

遠目で見ると
水面がキラキラと光り

Hさんの家は
池に浮かんで見えました

 

それは水墨画のような
美しささえ感じる
風景でした

 

集落からの距離も
離れていましたが

それ以上に

 

「凄いところに家を作ったな」

というのが

その時のすなおな感想でした

 

 

初対面での会話

Hさんに挨拶をして

私は書類を開き

家族構成を確認してから
Hさんの体調を聞きました

 

ぽつりぽつりと話すHさんは
初対面で緊張しているのか
言葉少なでした

 

「ここは冬は風が厳しいですよね」

Hさんに緊張を解いて欲しくて
私は少し軽い話をしました

 

「はいそうです」とHさん

 

「でもこれからはいい季節ですね」

 

「はい」

 

私はさらに続けました
「もう畑仕事はしているのですか?」

 

前任からの引継ぎで

自家製の野菜を少しだけ
作っていると

聞いたからです

 

 

「畑はできないです」
Hさんは言いました

 

「まだ寒い日もありますから
野菜作りには早いですか?」

 

私はさらに言いました

 

「それとも足が痛いとか」

Hさんの怪我をした記録も
思い出しました

 

「まだできないです」
Hさんは重ねました

 

「畑の水が引かないと」

 

何を言われたのか
わかりませんでした

 

「家の周りの水が引かないと」
さらに続けたHさんに

 

私の胸の奥で
「ズキリ!」という音が
した気がしました

 

池だと思っていた
Hさんの家の周囲は

本当は畑だったのです

 

 

北海道の農業

北海道では4月末から
9月くらいまでが

農業の勝負です

 

春は雪があったり
風が冷たすぎたり

秋は10月になると
霜の心配があります

 

ビニールハウスの温度管理も
燃料が必要ですから
お金がかかり維持が大変です

 

冬は何もできないので
ゆっくり過ごせますが

 

ゴールデンウィークあたりから
一気に畑仕事を行い
農作物を育てるのです

 

なのにHさんの畑は
4月末でも池のように
水につかったままでした

 

Hさんの土地

Hさんの畑が
どういう環境にあるのか

その理由は少し考えると
簡単に理解出来るものでした

 

蛇行している大きな川の
蛇行部分を袋を作るように
まっすぐに切り取ります

 

川の流れを
なだらかにするために
切り取った袋部分の
切取り口

 

その周囲の土地は

 

元の蛇行部分と
切り取られて
まっすぐになった現本流と

両方から水の侵入を受けます

 

しかも4月末は
山奥からの雪解け水が
濁流を作りながら

河口目がけて
流れ込んできます

 

そればかりか
大雨が降っても
すぐに水につかります

 

農地とは名ばかりで
農業で収入を得るなど
できるはずもなく

 

自家用の野菜も
満足に育つのかどうか

 

Hさんの土地は
そのような状態でした

 

 

Hさんの思いを受け止める

どんなに不便でも
作物が育たなくても

 

Hさんにとっては

父祖が一生懸命に
生きてきた土地

 

そこは離れたくない
大切な土地でした

 

 

都道府県規模の面積で見ると
北海道は14個に分かれています

 

前回お話ししたように

Hさんから苦情があったと
言われて

そんなに広いのに
「どうしてここなのか?」

 

その当たり前と言えば
当たり前の疑問は

Hさんに対して
口にしてはいけないことを

 

私は改めて意識しました

 

何故それは口にしては
いけない言葉なのか

それはおそらくHさんにとって
私はある意味
加害者側の人間なのだろうと

推測できる程度の知識を
私が持ち合わせていたからです

Hさんの選択や
思いを少しでも知るために

 

次回はHさんたち
アイヌの人たちが

 

北海道で生まれ育った
私の周囲で

どのようにそこにいたのかを
少しお話します

 

この記事のシリーズ

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先人の呪い この負の遺産を私たちは越えられるのか vol.3

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