社会は人の支え合いでできている

のびのび育てるという方針の甘やかしが汚点となっていないか?

こんにちは!

ノアです。

最近気になっていることを

整理して考えてみました。

 

バスの出発を待ってほしい

それは駅と観光地を結ぶ

無料シャトルバスでのこと。

スーツケースを持った男性が、

乗車してきました。

男性は運転手さんに

「電話が…」と言いました。

電話をかけたいので、

出発を少し待ってくれと

お願いしたようです。

 

30分間隔で1日数往復

到着地には折り返しの便に

乗車する人も待っています。

 

運転手さんに断られて

男性は荷物を残し

バスから降りていきました。

 

よほど急ぎの用があるのかな?

もう出発時間だけど…

そう思っていたら、

女性をつれて戻ってきました。

 

どうやら電話をしていたのは

女性の方だったようです。

二人の乗車を待って、

バスは出発しました。

 

ここで続けるの?

「それでね」そんな声がしました。

どうやら女性は

電話を保留にして乗車。

電話の続きを始めたのです。

確かに小声でしたが、

電話は仕事の電話でしょうか、

10分ほど続いて、

「そう、それでお願いします」

そんな言葉にやっと電話が終わるか、

 

やれやれと思ったら、

 

「そういえばこのあいだのあれ、

どうなったの?」

次の話が始まったのです。

 

ついでに思い出した口調に、

それは今話さないとダメなの?

と思ったのは

私だけではないはずでした。

 

とうとう一人の乗客が

「いつまで続けるつもりですか?」

声を荒げて言いました。

 

そうだ!そうだ!と

私も心で言いました。

 

「せめてマスクをしてください」

 

えっ?!マスクなし?

 

世間は感染症騒ぎのさなか。

 

そのバスの掲示にも、

マスク着用のお願い。

 

バスに乗車する時は、

運転手さんがアルコールスプレーで、

乗客に消毒してもらっています。

 

でもその女性はマスクをはずし、

延々と電話を続けていたのです。

 

その後の男女の行動

女性は「じゃあね!」

と電話を切りました。

 

そのあとは無言。

 

迷惑だと表明されたことには、

無反応でした。

 

バスが到着して

ほかの乗客が下りても、

その男女は降りてきません。

 

叱った人をやり過ごそうと

したようです。

その行動選択は、

分別のある大人のものとは

ほど遠いいものでした。

 

垣間見えたのは

その男女は40代か50代くらい。

聞こえてきた電話の会話も、

口調は穏やかでしたが、

部下に指図しているような感じでした。

 

身なりもいいもので、

バックもブランドもの。

 

でも彼らの行動は

 

電話をかけるために、

バスを1本後にするのではなく、

 

バスを遅らせて出発してくれと

運転手さんに交渉。

 

バスの中での電話。

(それも行程の半分以上の時間!)

 

注意喚起を無視してマスクなし。

 

迷惑をかけても謝罪なし。

 

叱られた子供のように

相手と顔を合わせないようにして、

何とかやり過ごそうとする。

 

「人に迷惑をかけたら謝罪する」

そんな当たり前のことを、

 

教えてもらわず

 

自分で学ぶこともなく、

 

自分の都合に合わせて

周囲を動かしてもいいと、

 

甘やかされて育った、

 

そんな状況が

推測されてしまいました。

 

 

謝れない大人たち

自分が相応の年齢になったからなのか、

 

一見大人に見えるのに、

 

謝れない人が

ずいぶん目につく気がします。

 

人にぶつかっても謝らない。

 

足を踏んでも謝らない。

 

お互いさまと思って

「すみません」と言っても

チラリと見て無視。

 

これが許されるのは

せいぜい10代までで、

 

謝ることを知らずに育っても、

20年も生きていたら、

社会生活の中で学ぶことと

思っていましたが、

 

私のその認識は違うのかと、

自信がなくなってきます。

 

同時に自分の行動も考えます。

私はちゃんと謝罪ができているのか?

謝れない人に

遭遇してしまう度に

自分に確認したくなります。

 

あなたはどうですか?

謝罪するべき場面で

謝罪はできていますか?

 

 

 

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