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『終活』は『死』の準備ではなく残りの時を『生きる』ために

こんにちは!ノアです。

『終活』という言葉が
すっかり社会に定着した
感じがありますが

『終活』という言葉
みなさんには
何を連想させますか?

 

 

『終活』ってなに?

誰にでも等しくあるのが
時間の流れと死

まだ若いと思っていても
いずれは老いもします。

 

身体が動いて
判断力もあるうちに

人生の終わりに向かって
身辺整理をしたりなど

準備をしておこうというのが
『終活』です。

 

昨今は

「終活プランナー」

「終活アドバイザー」

「終活ガイド」

など『終活』を支援する資格も
できてきているようですね。

 

家の処分をしてみた

私は母の住んでいた
一軒家と

自分のマンションの
2軒を処分しました。

 

どちらも数十年
住んでいた家です。

 

たくさんの思い出もありましたが
こんな物までと驚くくらい

次から次から
様々な物が
湧いて出てきました。

 

すっかり忘れていた服

書棚に並べたままだった
数々の本

しまい込まれた食器

 

落ち着いたら整理をしてと
思い続けて数年が経ち

そんな落ち着いた
いつかなんて絶対来ない!

と改めて確信しました。

 

気力も体力も余裕があるうちに
家を処分して良かったと
今は心からほっとしています。

 

『終活』が出現した理由 その1

終活がなぜ生じたのかは
幾つかの理由があります。

 

そのひとつは家族の形の変化です。

大家族が減少して
核家族化が進み

さらに子供が独立すると
残るのは高齢夫婦となります。

 

高齢による生活の不便や
困難が生じても

子どもをあてにしないで
老いた夫婦が
自分たちでなんとかしようという

ひとつの考え方が
選択肢として出てきました。

 

 

 

『終活』が出現した理由 その2

二つ目は多様な価値観が
認められる時代になったこと

 

生涯独身

結婚してもはじめから
子どもを産まないことを
選択する夫婦

性的マイノリティの容認による
カップル

 

自由に選択をすると同時に
自分(達)のことは
自分(達)で責任を持ち
自分(達)で備える

 

という考え方が生じることに
なりました。

 

『終活』が出現した理由 その3

そして三つ目の理由が
少子高齢化です。

 

高齢者が増加する一方
子どもが減少している
今の日本では

 

年金も年々減少していますし

 

自分でできなくなったから
お金を出してサービスを買う

という選択肢も

 

しっかりとした備えがなければ

なかなか希望したようには
ならなくなってきています。

 

 

 

『終活』が出現した理由 その4

先に述べた「その2」とも
関係がありますが

 

価値観の多様化の中で

 

自分で決めることが
認められるようになった

ばかりではなく

自分で決めなければ
ならないことが
増えてきた。

 

ということも
大きな要因のひとつです。

 

 

 

 

『終活』の例 その1

例えば
社会的な問題になっている
空き家の増加

 

持ち主が生きているのか
死んでいるのか
相続人がいるのかいないのか

 

これらの確認ができないまま
老朽化した危険家屋が

多くの市町村で
問題になっています。

 

特に持ち家の人は
高齢になって
思うように動けなくなると

家を処分するのは大変です。

 

どのタイミングで
家の処分に踏み出すか
は大きな課題と言えます。

 

 

『終活』の例 その2

お墓がある人は
先々どうするのか

 

管理する次の世代が
いるのか

 

永大供養を頼むか

 

墓じまいをして
あとは自分(達)のことを
準備しておくのか

 

散骨するとしても
誰にお願いするのか

肉親か業者に依頼しておくか

 

『終活』の例 その3

葬儀はどうするのか

葬儀は必要か不要か
からはじまって

時には
何のために誰のためにまで
考えを及ばせるかもしれません。

 

 

『終活』の意味

ある種のブームのように
感じることもある

『終活』やエンディングノート

 

私はこれらは一見
「死に支度」のようでいて

今までの生き方を振り返って
これからを考えるのと同時に

先の憂いをなくして
より生き生きと
人生を謳歌するため

なのではないかと
考えています。

 

もちろん
子どもや身内に
自分(達)のことで迷惑を
かけないため

という考え方もあるでしょう。

 

世の中の移り変わりも
激しい昨今ですから

色々なことを決めておいたから
もう安心と言うことも
できないでしょう。

 

何かを決めておいても
何も決めておかなくても

いつか必ず人生の
終わりは来ます。

 

そして
延命のことでも

葬儀のことでも

墓地のことでも

あるいは家のことでも

 

もし
「こうしたい」という
希望があるなら

誰かに伝えておくだけでも
『終活』だと思います。

 

つまり
何もかも決めておく
『終活』もあれば

何か希望を伝えるだけの
『終活』もあっていいと思うのです。

 

老いを生きる

自分の『死』を考えるのは
自分の『生きる』を考えること

最近ではそれが『終活』の

意義なのではないかという考えも
広がってきているようです。

 

私も家を処分してみて

まったくそのとおりだなと
感じました。

 

どのように生きて
どこで老いていくのか

最後はどうありたいのか。

 

これらを自分の現実として
受け止める準備が

整ったような気がしています。

 

いかがでしょう

『終活』

みなさんはどう受け止めますか?

 

 

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