こんにちは!ノアです。
アルコール依存症に
なった人の中には
色々なものを失う人がいます。
失ってから人生を取り戻すのは
並大抵の頑張りではないのですが
福祉相談員として未熟だった私に
この仕事を続けようと思う勇気をくれた
アルコール依存症の人のことを
お話します。
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Rさんとの出会い
はじめて出会った時
Rさんは入院中でした。
数年前までは
入退院を繰り返していましたが
退院すると飲酒をしてしまう
ということで
5年くらい入院したままで
断酒会に通っていました。
主治医も今の状態で
一番安定しているから
ということで
「退院は難しいでしょう」
と言っていました。
Rさんは自分が
アルコール依存症だということは
ちゃんとわかっていました。
「社会復帰を目指しませんか?」
「病院を出たら飲んじゃうから」
「自信がありませんか?」
「自信もないし、頑張っても
誰かに喜んでもらえるわけじゃないし」
「そんなことはないですよ。
娘さんとか、きっと喜んでくれますよ。」
「もう信用されてないです。
娘も半年に1回くらいしか
来ないし。」
「そのうち娘さんにも連絡をして
お会いしたいと思っています。」
Rさんは何かを考えているようでした。
「無理強いはできませんが、
もし、退院しようと思うなら
相談してください」
そんなやり取りをした
初回面接でした。
娘さんの話し
アルコール依存症の方は
病気のために家族を巻き込み
家庭という小さな社会を
破壊してしまう人が
少なくありません。
Rさんもそんな一人でした。
アルコール依存症の人の場合
家族に面会をお願いしても
断られることがあるのですが
Rさんの娘さんは
連絡をすると来てくれました。
「父のことはどうでもいいです。」
娘さんは開口一番でそう言いました。
「母はお酒のために
父の暴力を受けながら
働き続けて亡くなりました。
憎んでいるとかいうよりも
もうどうでもいい人です。」
「おとうさんは
今は断酒ができています。
病気のこともわかっていますし
断酒会にもちゃんと行っています。
可能なら退院して
在宅生活を支援したいのですが
ご協力いただけませんか?」
娘さんは笑いました。
「あの人にできるわけがないです。
何度も、今度は大丈夫だからと言っては
退院して1か月もしないで飲酒して
病院に戻ってきたんですから。
もうあの人に
振り回されたくないです。」
娘さんは淡々と話しました。
「わかりました。
もしご本人が
退院したいということでしたら、
病院か私から連絡します。」
娘さんは
「お世話になります。」
丁寧に挨拶をして帰っていきました。
Rさんの話
Rさんから私と話したいと
電話があったのは
それから間もなくでした。
幸いなことに予定が空いていたので
病院に行くつもりでしたが
近くまで来ているということで
訪ねてくれました。
「ノアさんに会って
色々と考えました。
退院を勧めてくれたの
ノアさんが初めてでした。」
私はドキッとしました。
病院もベテランの先輩たちも
Rさんに退院を勧めなかったと聞いて
自分は判断を
間違えたのではないかと
思ったのです。
「娘に会いましたか?」
「はい。先日来てくださいました。」
「関わりたくないと
言ってたでしょう。」
「心配していましたよ。」
Rさんは笑いました。
「娘にも苦労させました。
やり直したところ
見せられるのは今しかないと
思ったんです。」
えっ?えっ?えっ?
「実は職安にも行ってきました。
本州に行けば働けそうなんで
退院して頑張ってみようかと
思って」
「大丈夫ですか?
一度主治医に相談してからにしては?」
「帰ったら先生に話します。」
Rさんはもう立ち上がっていました。
「とにかく先生とも
よく相談して決めてください。」
「わかりました。」
と言ってRさんは帰っていきました。
私は病院に電話をして
主治医と話しました。
主治医も退院と聞いて
驚いていました。
「退院しても、
戻ってくるでしょう。」
「行き先がわかれば
私も支援体制を取ります。」
「わかりました。
また連絡します。」
そんなやり取りをして
私は電話を切りました。
主治医と話しても
Rさんの決心は固く
主治医はとうとう退院を
許可しました。
しかし行き先も
決まっていない状態での
退院に主治医も私も
不安を拭うことができず
「とにかく困ったら
いつでも帰ってくるように
言って送り出しました。」
主治医からそう連絡をもらったのは
わずか1週間後でした。
遠くからの電話
その後Rさんの足取りは途絶え
自分のクライエントではなくなった
Rさんの娘さんに
様子を聞くこともできず
それでもRさんのことは
ずっと気になっていました。
それが半年ほどたった時
突然Rさんから電話があったのです。
「Rです。わかりますか?」
Rさんの声は明るく
生き生きしていました。
「もちろんわかります。
今、どこですか?」
「横浜です。」
「横浜?!!」
「横浜で元気に
仕事をしています。
落ち着いたら
ノアさんにお礼が言いたいと
ずっと思ってました。
平日は仕事で
なかなか電話ができなくて。
やっと今日、
電話ができました。」
「よかった。
お元気だったのですね。」
私は泣きそうな気持で
そういうのがやっとでした。
「はい、酒も飲んでないし
こっちの断酒会にも
行っています。」
「先生には連絡しましたか?」
「これからかけます。
ここで頑張れるだけ
やってみようと思います。」
「娘さんはなにか
言っていましたか?」
「この間、来てくれました。
頑張ってるねと
言ってくれました。」
Rさんはなおも続けました。
「本当に色々と
ありがとうございました。」
「とんでもない。
私はなにもしていません。
全部、Rさんが頑張ったからです。」
「いい報告ができて良かったです。」
「わざわざありがとうございます。
本当に嬉しいです。」
Rさんの電話は
明るい声のまま切れました。
こんなこともあるんだ。
受話器を置いて
私は思いました。
こういうことがあるなら
この仕事、頑張れるかもと。
それは福祉相談員の仕事をして
初めてもらった
素晴らしい贈り物でした。
実はRさんはこの1年後に
元の病院に帰ってきました。
Rさんの病院担当から
外れていた私に
主治医がわざわざ電話で
知らせてくれたのです。
お酒は一滴も飲まないで
戻ってきたこと
アルコールで肝臓が
もうだめになっていて
あちらの医者から
本人が帰りたいと言っていると
受け入れ要請があったので
受け入れたこと
娘さんが付き添って
もどってきたことなどを聞き
主治医にお礼を言って
電話を切りました。
Rさんが亡くなったと
風の便りで聞いたのは
その半年後です。
もしかするとRさんは
はじめに退院しないで
入院したままだったら
もっと長生きできたかもしれません。
壊れた肝臓を抱えての仕事は
辛かったでしょうし
肝臓の症状の悪化も
招いていたでしょう。
でもRさんが
電話をくれた時の
声を思い出すと
Rさんは退院して
頑張ってよかったと
思っていたと
信じていたい
私がいます。
この記事はアルコール依存症№4です。
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