社会は人の支え合いでできている

通り過ぎてしまった分岐点

投稿日:2018年11月10日 更新日:

こんにちは!ノアです。
アルコール依存症の3つ目のお話です。

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Yさん

Yさんに初めて出会った時、
彼はアルコールから
離れることに成功して

支援団体が経営する
食堂で働いていました。

断酒会にも週に一度
休むことなく参加していましたし、
病院にもちゃんと行っていました。

過去には何度も入退院を繰り返し
奥さんに暴力をふるって
警察のお世話にも
なったことがあります。

でも、私がお会いしたYさんは
すっかり温厚そうな好々爺でした。

断酒をして2年半。

お酒を飲んで暴れたYさんを嫌って
結婚を機に断絶状態だった娘さんも
やっとYさんの本気を受け止め

数日前にはじめて
孫を連れて遊びに来てくれたと
嬉しそうに話してくれました。

「お孫さん、お幾つですか?」
私が問うと

「4歳と2歳になったところです」
Yさんは照れたように言いました。

「かわいい盛りですね」

「じぃじぃ、じぃじぃとうるさいです」

言いながらも目を細めていました。

家族の支えもあり
以前とは違う人生に踏み出した
Yさんの自信のようなものが見えました。

 

 Fさん

Yさんの奥さんのFさんは
おとなしい人でした。

同じ町にある
食品加工の工場で

長い間働き続けて
生活を支えてきました。

長く務めたベテランの腕が認められ
60歳を過ぎた後も

会社に頼まれて
同じところに勤めていましたが、

私が知り合った頃は
間もなく65歳になるので
仕事をやめると話していました。

Yさんの暴力に耐えながら
長い間仕事をして生活を支え
娘も2人育てた人です。

忍耐強く黙々と働いてきたのだろうと
推測はできるのですが

強さを表面に感じさせず
笑うとえくぼかできる
かわいい感じの人でした。

家の前の畑に野菜を作り
きれいな花を植え

それらの植物も愛情を受けて
生き生きとしていました。

この夫婦にとっては
穏やかに過ごせる今が
一番いい時のように見えました。

 

 ある日の出来事

私はYさんとFさんご夫妻に会うとき
二人一緒にお会いしたことがありません。

Yさんは職場にいますし
Fさんに会うのは自宅でした。

その日、家庭に訪問して
Fさんと話していて
私は聞きました。

「なぜ、65歳でお仕事をやめるのですか?
65歳でやめてほしいと言われたとか?」

「いいえ。会社には続けてほしいと言われました。
でも、65歳で年金がもらえるようになりますから」

Fさんの答えに私は書類を見ました。

「でも、年金は60歳からもらえましたよね。

65歳からにしたのは
なにか理由があるのですか?」

あまり深い意味のない問いでした。

Fさんはキョトンとした顔をしました。
私は何が起きたのか
理解できなかったのですが、

次にはFさんの表情が
明らかに変わりました。

それは茫然としているとしか
表現のしようがない表情でした。

「私の年金60歳でもらえたのですか?」

やっと問い返した
Fさんの声はかすれていました。

「厚生年金は60歳から(当時)もらえます。
国民年金は65歳からですから、
65歳になると受け取る額が増えます」

Fさんが大きな衝撃を受けているらしいことは
伝わってきました。

どうしたのだろう????

何が起きたのだろう????

クエスチョンマークで
頭がいっぱいになった次の瞬間、
私は息を飲みました。

Fさんがポロポロと涙を落したのです。

「60歳で年金がもらえることが
わかっていたら
私の人生は違っていました。」

Fさんの言葉に
時間が止まったような気がしました。

えっ?えっ?今、なんって?

「離婚して自由になれたんです。」

頭の中が真っ白になりました。

「娘も離婚を勧めてくれました。

でも、離婚をしてもあの人は
お酒を飲んで私がいる工場に来て
暴れると思いました。

お金がないから仕事はやめられないし

職場を変わりたくても
年齢を考えると
新しく雇ってくれるところはないだろうし。

だからそれまでと同じように
我慢するしかなかった」

私は混乱していました。

「でも、Fさんがそばにいたから
Yさんは立ち直れたのだと思いますよ」

その時のFさんにとって
そんな言葉は
なんの慰めにもならないと
私もわかっていました。

私はただ、Fさんが
あの時離婚しなくてよかったのだと
思える何かを探していました。

その時の状況が落ち着いていても
Fさんが耐えてきた時間の重さは
消えないものです。

知らないうちに分岐点に気が付かず
通り過ぎてしまったことを

悔しく残念なこととして抱え続けるのは
FさんにとってもYさんにとっても
残酷すぎると思えたのです。

でも、私はFさんにかける言葉を
持ちませんでした。

私などには想像できないような
壮絶な日々を耐えてきたFさんが

ただ辛いだけだった日々と
今の穏やかな日々を
どう受け止めるのか

それが全ての解決の
糸口となってくれることを願いながら

Fさん宅を辞することしか
できませんでした。

 

どっちを向く?

出会いや出来事や
その時は何も思わなかったのに、

後で考えるとあれが人生の
分かれ目だったなと
思うことはありませんか?

ましてそれが、
何かを知らなかったことで
別の道を選んでしまったと
後で知ったら、

仕方がない過ぎたことだと思うか、

結果として
こちらの道を歩んできたわけだから
これが自分の道だと信じるか

それができるなら
積極的に生きていくことができるでしょう。

でももう一つの選択肢を知っていたら、
今の道は選ばなかったと
はっきりと思ってしまった時....

どのような方向を向くにしても
次の一歩は希望に向かって

踏み出すものであってほしいと
祈るばかりです。

Fさんにはその後も数回
会う機会がありましたが

Fさんがなにをどう受け止めたのか
怖くて聞けませんでした。

わかっているのは
Fさんに会った時に
Yさんと離婚する話は
していなかったということだけです。

 

この記事は 【アルコール依存症】の3話目です。

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