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何も頑張らなかったモラトリアム人間の卒業

こんにちは! ノアです。

みなさん、若い時の自分を思い出して、
どうしてあんなことをしたのか???
と思い出すことはないですか?

私は山ほどあります。

モラトリアム世代

『モラトリアム

前略ー 小此木啓吾の
『モラトリアム人間の時代』

(1978年(昭和53年))等の影響で、

社会的に認められた期間を
徒過したにもかかわらず

猶予を求める状態を指して
否定的意味で用いられることが多い

出典: フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia) 』

私が思春期の頃

「モラトリアム人間」という呼称が
世に出回りました。

「私たち、モラトリアム世代だし」

そんな、あきらめよりも
開き直りに近いセリフが、

流行りのように
私たちの世代を
飲み込んでいきました。

私立大学の学費を
4年間親に払ってもらい、

同級生の間で
もっぱら就職の情報交換がされていた
大学4年の時、

私はいつまでも
モラトリアムの真っただ中にいました。

就職のことも、
先のことも、
何も考えずにのほほんとしたまま、

自分からは
なんの行動もせず、

我がことながら
どういうつもりだったのだろうと思います。

取り敢えず働いてみたら

見かねた伯父の世話で、
私は医科大学の事務にアルバイトで入り、

アルバイトをしながら
職員の採用試験を受けて
運よく職員になりました。

職員になって初めての職場は、
精神科の窓口の仕事でした。

私自身が精神衛生法(現在の精神保健福祉法)の

なんたるかもろくに知らないままに、

「この患者さんは医療保護入院」

と医師に言われると、

未婚で成人している患者さんの場合、
親か兄弟に
保護者になるための申請書類を
書いてもらうという仕事がありました。

「家庭裁判所に申請をして
保護者として認めてもらう手続きです」

程度の説明はできます。

しかし、現実に
誰が保護者になるのかという話になると、

家庭の事情、
親の年齢、
患者さんとの関係性、
時にはお金の心配まで、

大学出たてで、
ただ精神科の受付にいるだけのお姉ちゃんに、
延々と訴える人がいるのです。

私がバカのように
「そうですか」
「そうですか」
と繰り返すことしかできなくても、

誰かに大変さを聞いてほしい
という気持ちが伝わってきました。

 

私なにやってるんだ?

この「自分はあまりにも知らなさすぎる」
と身に沁みて感じた経験が、

いつまでもモラトリアム人間気分にひたっていた私に、

「こうしちゃいられない」

という気持ちを起こしてくれたのです。

誰かの役に立ちたいとか、
誰かを助けたいとか、
そんな崇高な気持ちは微塵もなく、

むしろこの世界を知ることは、
私を成長させてくれるはず、

という利己的な衝動に背中を押され、
私のモラトリアム時代は終わりました。

 

もしもどこかで

あの頃の患者さんや家族が、
今どこでどうしているのか、
私に知るすべはありませんし、

彼らも私のことなど
覚えてはいないでしょう。

それでも私は、
あの時あの人たちと話すことで、
先に進むことができました。

だからこれから再会することができたとしたら、
やはり伝えたい言葉はこれです。

「ありがとう!」

 

 

 

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