こんにちは!ノアです
私たちは社会で生きています
社会で生きるということは
色々な人とのかかわりの中で
生きているということ
そしてそれはある種
自分との戦いでもあります
残ってしまった気持ち
みなさんは
人とのかかわりで
忘れられない嫌な思い出や
時間がたっても消化できずに
ずっと抱えてきてしまった
そんな気持ちの
ひとつやふたつありませんか?
私はあまり執念深い方ではなく
どちらかと言うと
三歩歩いて忘れるタイプ
だと自分では思っているのですが
それでもどうにも消化できずに
30年近くを経てしまった
そんな思いが幾つかあります
その時のことを思い出すと
いまでも微かな揺らぎが
自分の内側に生じるのです
なにげないはじまり
その日私はある雑誌を開きました
その雑誌は業界誌のようなものと
思ってください
(福祉関係の雑誌ではありません)
その雑誌に文芸賞の発表があり
なにげなく見ると
「ノンフィクッション」部門で
最優秀賞になったのは
在宅の障がい者宅に
介護ボランティアに行った
Iさんの体験記でした
私はすぐにその体験記を読み
激しい衝撃を受け
同時に怒りを感じました
なぜならその内容は
介護を受けている人が
(ここではYさんとしましょう)
恥ずかしく思いながら
(そのことを言葉で訴えながら)
介護者に身をゆだねるしかない状況や
その時に交わした一言一言まで
小説のように克明に表現したもの
だったからです
福祉の現場にいた私にとって
これほどプライバシーに対する
配慮に欠けた「体験記」は
あってはならないレベル
のものでした
介護された本人が
この文章の存在を知ったら
さらにどれだけ傷つくだろうと思うと
涙が出そうでした
しかし現に
その体験記は評価され
「最優秀賞」を与えられていたのです
なんのために
みなさんならこのように
看過できない何かに
気が付いてしまった時に
どうしますか?
状況を整理して
冷静になった私が考えたのは
私がこの問題を提起するとしたら
それはなんのための行動か?
ということでした
著者を糾弾するためか?
正直に述べると
この気持ちは
かなり強くありました
この体験記の著者Iさんが
ボランティアをした意図は
善意だったかもしれません
しかしこの人の
「体験記を書いて発表する」
という行動には
どういう意図が見えるでしょう
私から見と
審査員の中にある
未知なる世界の扉をたたき
こんなことがあるのだという
驚きを引き出して
文筆家としての自分を
認めさせようとする行為にしか
見えなかったのです
あるいは編集部に
問題を提起して
同じような過ちを
二度としないように
認識してもらうか?
このことについては
こうも思いました
「なぜ、それを伝えるのが
私でなければならないのか?」
この問題提起は
著者に対する批判だけではなく
この体験記に賞を与えた
審査員の問題でもあります
やっかいなことに
実はこの審査員の中に
私が常日頃から
お世話になっている人が
いました
一番の問題
そして最後に
私の行動選択の要になったのは
この問題提起で
何が起こり得るのか?
ということでした
色々な事態を
考えてみました
賞の取り消し
これはたいしたこととは
思えませんでした
私の問題ではなかったからです
Iさんのボランティアの中止
ぜひそうしてほしいと
心から願いましたが
これもIさんの問題で
私の問題ではありません
販売した
雑誌の回収や訂正
これも希望はしますが
出版社がどうするのかという
問題です
私が一番気になったのは
プライバシーを侵された本人に
何が起きるのか?
ということでした
誤解がないように
お伝えしますと
編集部も審査員も
そして多分Iさんも
この問題提起を
受け止めることができたら
出来るだけ誠実に
対応しようとするだろうと
予測することができました
だからこそ
私は迷いました
プライバシーを侵されたYさんに
どのような働きかけがあるのか?
あるいはYさんに対しては
何もアクションがないのか?
もしYさんが
この体験記の存在を
知らなかったとして
編集部に問題提起をしても
その文章はもう
世間に出回っています
黙っていたら
話題にされたYさんが
この体験記の存在を知ることも
ましてやそれが
全国規模の雑誌で
公表されていることも
知ることはないかもしれません
それが解決方法として
いいのか悪いのかは別にして
それならむしろ
問題提起などしないほうが
いいという考え方も
あり得ます
私は行動を起こすか
何もしないままでいるか
一週間ほど悩んだ末に
どうにも飲み込めない物が
喉の奥に詰まったままの状態で
結局何もしませんでした
自分の行動の結果が
自分で負える
責任の範疇に収まると
判断できなかったからです
どうするべきだったのか
後で考えると
「こうしておくとよかった」
などのように
『何かが見える』ことって
あると思います
誰かとけんかをした時も
こう言えばよかった
あんな言い方をしたから
けんかになってしまった
と反省をしたり
でも残念ながら
半分忘れたふりをして
寝かせておいても
時間を経て
自身が色々な経験を積んでも
どうするのが良かったのか
やはり結論が出せないまま
心の中のツボに入れて蓋をしたり
棚に置いたままにしたり
いつまでも残ってしまうことも
あったりします
そんな時に
あなたはどうしますか?
心にのこること
はじめにお話ししたように
人と人とのかかわりでは
様々なことがおこります
どうにも消化できないこともありますし
忘れたつもりでいたのに
ある日思い出してしまい
しばらく気になること
ちゃんと自分の中に
残っていたんだなと
懐かしくなることもあります
これらが
怒りや悔しさ罪悪感など
「負」の感情でなければ
いいのかもしれませんし
百歩譲って
自分の行動に
影響を及ぼさないのであれば
放置しておいてもいいでしょう
でもそれが自分の中に
消えないであるがために
いつまでも苦しみが続いたり
次の行動の妨げになるなら
どこかで
なんでもないこと
にしていまいたいものです
私はそのための
とっておきの方法を知っています
知りたいですか?
さて前出の
ボランティア体験記を書いたIさん
私にとっては雑誌で見た
「やっちゃった人」
でしかなかったのですが
チョットしたご縁から
今度は私がIさんとの間で
忘れられない体験を
する羽目になりました
次回はそのお話をします
えっ棚おろし方法?
もう少々お待ちください
待てない?
では
心の枷をなんでもないことにする
そのための方法を今すぐ知りたい!
という方は
fukusiawase@gmail.com
までご連絡ください
あなたが心の枷を忘れて
軽い心でこれからを歩いていけるように
とっておきの方法を
教えちゃいましょう
待てるという方は
もう少々お付き合いください
ノアのおすすめ記事