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知れば知るほどもっと知りたくなる 本能寺の変と明智光秀の真実はどこ?

こんにちは!ノアです

私は女性史にも興味があり
色々な本を読みました

 

誰の娘が誰と政略結婚し
誰の母がどこの人質になり

誰がどこに嫁いで
権力をふるったなど

 

そんな情報から
戦国大名同士の繋がり
裏切りや落城などに

興味が広がったのです

 

本能寺の変は こちら もどうぞ

同時に中国地方では こんな ことが

 

「えっ?そうなの?」の話

色々な本を読んでいて
最初に違和感を持ったのは

【春日局】

 

徳川家康のご指名で
徳川幕府3代将軍の乳母となり

大奥を築き上げ
裏の権力を握っていた
なにやら怖いおばさんです

 

私が「えっ???」
と思ったのは

彼女の父が
明智光秀の重臣だった
ということです

 

春日局の父斎藤利三は

平安時代から続く『斎藤氏』
から派生した美濃斎藤氏

だったと言われています

 

 

それが本当であれば春日局は
そこそこ身元がはっきりした人
だったとは思いますが

 

場合によっては
敗者の女子供を含む
一族郎党根絶やしもあったこの時代

 

なにも謀反人明智光秀の
重臣の娘を

 

それも本能寺の変でも
明智光秀に従い

京都で斬首された
謀反人の娘を

 

なぜ大事な将軍候補の
乳母にしたのか???

 

しかも しかも
選んだのは徳川家康???

 

父と娘は別者などという
考え方があったとも
思えないのですが

 

そんな疑問を持っていたら
「ああ、それであれば!」
の話が出てきました

 

 

明智光秀の死

本能寺の変で
織田信長を討ち果たし

明智光秀は

頼りとしていた
大名たちに裏切られ

 

豊臣秀吉との戦い後に
近江坂本城に敗走中に
亡くなったそうです

 

はっきりしないのは
記録も伝承も複数

ついでに首塚も複数
あるからです

 

農民の錆びた鎌で
腰を切られたことで
最期と悟ったという話や

 

落ち武者刈りで
殺されたという話

 

光秀の首が
本能寺の焼け跡に
さらされたという話

 

光秀の家臣が
首を抱えて逃げて

かねてから光秀に
言われていた
寺に埋葬してもらった
という話などなど

 

そして素敵なのは
実は光秀は落ち延びて
生きながらえた

 

という話があることです

 

(明智光秀の首塚のひとつがある
亀岡市谷性寺)

 

生きていた光秀?

「明智光秀は
死んでいなかった」

となると話は
随分違ってきます

 

複数の首塚も
複数の死にざまの伝承も

納得できてしまいますし

 

もっと「なるほど」と思うのは

 

光秀の首はさらされたが
誰もその顔を確認できないくらい
高い位置にさらされた

とか

夏だったので
もう人相がわからなくなっていた

(個人的には
そんなものをさらさないでほしい
とは思いますが)

 

という話もあることです

 

なにやらみんなで

「光秀は死んだ‼」
(だからこの件はおしまい!)

と叫んでいるような
匂いがしませんか

(谷性寺では冬の桜が咲いていました)

 

 

もしかすると

明智光秀の生存説も
色々とあるようです

 

生まれ故郷の岐阜に
落ち延びて住んでいた

 

夫細川忠興に幽閉された
三女玉子(後のガラシャ)の
近くにかくまわれた

 

そして知る人ぞ知る
光秀=天海説

 

天海は誕生したばかりの
徳川幕府で

家康のそばにいて
何かと保佐をしたという
僧侶です

 

その前半生は本人も語らず
どういうことで
家康のそばにいるに至ったのか
謎のまま

 

僧侶でありながら
天海の甲冑が残っていたり
(つまり戦いに出た)

 

日光東照宮には
明智家の家紋の桔梗が
残されていたり

 

地名を『明智平』とつけたり

 

一節では
先の春日局が天海に会った時

「お久しぶりです」
と言ったとか言っていないとか

 

もっと面白かったのは

徳川幕府の2代目秀忠の『秀』

3代目家光の『光』

二つで『光秀』!!!

 

すごいですね!
目からうろこです

 

ずっと不思議だったのです
どうして『秀忠』?

 

このあたりのちゃんとした記録が
出てきたら最高です

 

ただ天海が光秀だとすると
亡くなった時は115歳

 

長寿すぎるということで

天海は光秀の息子だったのでは
との話もあるようです

 

歴史における
『もしかすると』は
楽しいですね

 

 

明智光秀という人

明智光秀は
領民には慕われていたようですが

 

源義経に
「判官びいき」という
言葉があるような
人気者ではありません

 

むしろ主君を討った
逆賊とか
狡猾だったとか
陰険だったとか

 

負のイメージで
語られることが
多い気がします

 

ですから
「できれば生きていてほしい」
という周囲の願望も少ないのに

生存説が多々ある人です

 

織田信長を討った光秀は

豊臣秀吉にとっても

徳川家康にとっても

ある意味では恩人ですし

 

 

本能寺の変に
もしも黒幕がいたとすると

豊臣秀吉や徳川家康ほど
怪しい人たちもいません

 

織田信長の家臣たちは
戦に次ぐ戦の日々でした

 

光秀も次々と
戦いに駆り出され

戦うことに疲れた末の
苦渋の選択だったのでは?
という説も聞きました

 

 

もう終わった
遠い昔のことですが

こんなにも
真実はどうだったのだろうと
つい考えたくなる明智光秀

 

いつか明智光秀について
実は生きながらえていた
という証拠が見つかったら
おもしろいですね

 

 

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