気になる閑話 社会は人の支え合いでできている

他人を信じて生きていくことを教えてくれた大切な友人たち

こんにちは!
ノアです

あなたは今までどんな出会いを
してきましたか?

 

育った環境から

私の父は教員でした

 

母は公務員の娘で
結婚後は専業主婦

 

祖父母も父方の身内も
ほとんどが教員

母方の身内は公務員

 

お金持ちではないけれど
食べるには困らない

安定した堅実な環境で育ち

 

自分もなんとなく
教員や公務員と結婚して
専業主婦になるのだろう

と思っていました

 

可もなく不可もなく

大きな冒険もしなければ
大きな失敗も大きな成功もせず

 

見る人が見たら
つまらない奴ら
かもしれません

 

でも身内のことですが
どの人も誠実に
職務を全うしました

 

すべてがなんとなく

このような環境で
親の庇護のもとにいたので

引っ込み思案な子供でした

 

自分で積極的に
何かをしたり
人と関わることもしないで

でもなんとなく

いつも誰かが近くにいた

という記憶があります

 

高校三年生の時に

これという将来の目的もなく

 

もっと言うと

教員になるとか
公務員になるとすら
思ったこともなく

 

受験勉強もろくにしないで
一応受けた短大3カ所は全滅

 

浪人することも
就職することも
あまり現実感がなく

 

親がこの子は家事だけは仕込んだから
さっさと嫁に出してしまおう

 

と考えたのも無理からぬ話

 

 

口をきいてくれる人がいて
お見合いの話が出るも

 

「18歳ならこれからまだまだ
楽しいことのある歳だろう」と
お相手が言ったとかで

対面することなく
一旦保留に

 

私は何も考えていなかったので
この話が進んでいたとしたら
そのまま結婚していたと思います

 

人生に「もしも」はないのですが

あの時結婚していたら
今はどこで何をしていたことか

 

因みにこの時のお相手も
教員でした

 

 

大学に行っても…

ということで

何も考えていなかった私は
受験に失敗して

(本人は失敗とは思っていなかった)

 

取り敢えず相談した
高校の担任に2次募集中の
大学を教えられ

 

「もうそこでいい」と
進路を決めました

 

人生はどこに何が
転がっているのかわからないものです

 

このいい加減な選択が
とても大きな選択だったことを
私は後で知ることになります

 

私の大学生活は
一番前の席で講義を聞く日々から
はじまりました

 

大学の何たるかも
あまり知ろうとしないままに

高校に通った時のように
朝から夕方まで教室にいて

 

1年目で4年分の履修単位の
半分近くを終えました

 

それなりにバイトをしたり
飲み会に行ったり
コンパもあったのですが

 

大学生活って
高校時代よりも
ちょっと自由の範囲が
拡がった程度のもの

というのが実感でした

 

親の庇護という
ぬるま湯につかり

自分のことなのに
真剣に考えることもなく

「まあこんなもの」
のままだったら

 

ここでもまた
今はどうしていたのだろう
と思うのです

 

親友の思い

大学の2年生になる春

 

「兄貴」と慕っていた人が
飛行機事故で亡くなりました

 

人間の精神ってすごいですね

その知らせを聞いた時
私は爆笑したのです

 

事故を知らせてくれた人の
真剣な口調と表情が
面白おかしくって

 

今思うとそれは私の中で
何かが砕け散った
瞬間だったのだと思います

 

その夜に春休みで帰省している
親友に電話をしました

 

何が起きたのか
誰かに聞いてほしい

そう思った時に
私が思い出したのは
彼女だけでした

 

話しているうちに
涙があふれてきてはじめて

「ああ、私は悲しいんだ」と
どこかで他人ごとのように
思ったのを覚えています

 

電話のあと
自分が何をしていたのか
憶えていません

 

ドアがノックされたのは
翌日の午後3時頃でした

 

私はその数日前に下宿を出て
アパートに転居したばかりで

訪れる人がいるはずもなく

のろのろとドアを開けた
そこに立っていたのは

 

まだ戻る予定ではなかった
昨日電話で話した親友でした

 

私は目の前に現れた彼女に
言葉をなくしました

 

まさか3日後に戻る予定の彼女が

 

1日も長く娘といたい
彼女の親を振り切って

札幌からはなれた
田舎の実家から

始発の鈍行列車に乗り
列車を乗り継ぎ

 

戻ってくるなんて
思ってもいなかったからです

 

その時はただ驚いただけで

親友が私を心配して
そこまでしてくれたことに
気が付いたのは
そのずっと後のことです

 

人生を彩るものとは

私の生涯に渡る大事な出会いと
楽しいモラトリアム時代は

この親友をはじめとする
友人たちとの出会いに
凝縮されています

 

知識を積むべき大学という場で
私が出会いから学んだ多くは

生きていくために欠かせない
「人と関わること」でした

 

「わがまま娘」
「世間知らずのお嬢様」
「マイペース」

これは大学時代に
友人たちからもらった言葉です

 

これらに対して
「ありがとう」と言うと
「誰もほめてねーよ」と
突っ込まれるところですよね

 

でもこれらの言葉は
「何がしたいのかわからない」
「どうしたらいいのかわからない」
「できればあまり人と関わりたくない」
「でも何もしないわけにはいかない」

そんな現実に
窒息しそうになっていた私に

 

「でもそんなあなたでいいじゃない」
「そのままで生きていていいんだよ」
「あなたは大切な人だよ」と
言ってくれていたのです

 

友人たちが教えてくれたこと

とにかく私は人と関わるのが
とても苦手でした

 

正確には今でも
相当な覚悟をしないと

はじめての集団には
入っていけませんし

入っていっても
ふるまい方がわかりません

 

いまだに嫌なことがあると
引きこもろうとする自分が
内側にいます

 

でも学生時代の日々は
何十年経っても

「大丈夫
今のあなたで人と関わっていけば
きっとたくさん得るものがある」

「誰かにあげられるものも
きっとある」
と背中を押してくれるのです

 

今思うと友人たちは
社会で人を信じることを
教えてくれました

 

 

彼女達に出会わなければ
私はきっと

肉親以外の人を信じることを
あまり知らずに

生きていたのではないかと
思いますし

 

 

それは社会で生きていくうえで
かなり致命的な欠陥に
なったと思うのです

 

 

その後数十年を経て
私たちは別々の人生を歩み

 

もう連絡が取れなくなった
人たちもいます

 

悲しいことに
亡くなった友人もいます

 

私が大切なことを
学んだあの日々と同じように

 

変わることなく
行き来している
友人たちもいます

 

いつもどこで会っても
「あの頃」を語り合える

友人たちとの出会いが
あったということは

 

かけがえのないこととして
今も私の中で続いています

 

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