毎日素敵に満ちている 社会は人の支え合いでできている

価値観の違いとルールの根底を見ないと失ってしまう大切なこと

こんにちは!
ノアです

今回の記事は
価値観が違うことを
認め合う

 

社会には普遍的な
ルールがある

このふたつを
認識しているだけで

たくさんの大切なことを
見失わないでいられる

という話です

 

 

オリンピックトラブル

【開会式直前で】

今日は2021年7月25日
東京オリンピック3日目です

開会式の直前に
二人のスタッフが解任されました

 

小山田圭吾氏

ひとりは開会式の音楽スタッフ
ミュージシャンの小山田圭吾氏

 

小山田氏は学生時代

知的障がい者の同級生に
聞くに堪えないようないじめを行い

その過去を面白おかしく自慢げに
雑誌のインタビューで語った
という過去が露呈し

 

本人はもちろん
雑誌の出版社も謝罪しましたが

 

このニュースは世界を走り
最終的にはオリンピックの仕事を辞任

 

小林賢太郎氏

もう一人は
クリエイターの小林賢太郎氏

若い時のお笑いネタで
ナチスドイツによる
ユダヤ人大量虐殺を
揶揄したことが公になり

 

これもまた国際社会の批判の中の
直前解任劇となりました

 

 

国内の声

小山田氏の場合

小山田氏の行為について
はじめに目に入ったのは

 

これはいじめじゃない
犯罪とも言える虐待行為だ

というものでした

 

ほかにも
被害者の気持ちを考えろ
過去のことですまない

そしてスタッフの辞任を求める声など
その声は尽きないほどです

 

小山田氏と同じグループの仲間が
氏を擁護したTwitterや
オリンピックの組織委員会が
氏を解任しないと言ったことが

糾弾する人たちの怒りに
油を注いでいました

 

小林氏の場合

小林氏の方は
アメリカのユダヤ人人権団体が
即座に反応し

開会式の前日でしたが
小山田氏のことも影響したのか
素早い辞任となりました

 

擁護した人々

彼らを擁護した人もいました

 

彼らの才能は認めるべき

 

過去のことなのに

 

小山田氏の記事も
時代が認めていた記事

 

などの意見が述べられましたが

 

糾弾派の声の大きさに
擁護派はかすんでいったように
見えました

 

 

事件に感じたこと

感じた怒り

私は小山田氏も小林氏も
今回のことで知った人たちです

 

いずれの出来事も
はじめて知った時は

身が震えるほどの怒りが
わいてきました

 

小山田氏に対して

まず小山田氏に対して

 

本当にそのようないじめが
事実だったとしたら

それは被害者の心を殺すという
殺人に等しい行い

 

そういうことが受け入れられる時代だった
という意見を聞くと

現代の人間界において
差別が当たり前のように赦される
時代の風潮などあり得ない

 

 

小山田氏の被害者に会って謝罪を
という発言を知ると

謝罪についての決定権があるのは被害者

加害者の罪の意識を軽くするために
被害者がなぜ
謝らせてあげなければならない?

 

 

といちいち怒りがわいてきました

 

小林氏に対して

小林氏に対しては
「無知すぎた」につきました

 

そんな言葉では
済まないとも思いましたが
ほかに考えようがなかったのです

 

数年前に
イギリスのテレビ番組で

 

広島で被爆した男性が
その後長崎に移動し
そこでも被ばくしたという事実を

 

「運が悪い男」というタイトルで
笑いものにして
世界中から非難された

事件がありましたが

 

 

小林氏には
このテレビ番組のスタッフと

同じ匂いと鈍感さを感じました

 

 

結論

そもそも二人とも
自分たちが過去に何をやったのか
本当に理解していたなら

今回の仕事は
固辞したのではないかと
思っています

 

 

正義をふりかざす

批判された

ところがこのように感じていることを
ある人に話したところ

 

二人を糾弾する人たちも私も

「自分は正しいという
正義感をふりかざしているだけ」

と言われたのです

 

その瞬間に私の思考が止まりました

 

「被害を受けた人が怒るならわかる
それ以外の人は第三者にすぎない」

 

私はここで立ち止まってしまったのです

 

正義ではない正義

小山田氏が辞任したあと
彼の子どもを誹謗中傷する
SNSがあるという話を知りました

 

COVD-19の感染予防で
マスク警察と呼ばれる人たちが
一部に出現したことや

 

感染者を村八分のように
はじき出そうという
動きがあることは知っていました

 

正義をふりかざしてというのは
そのような行為を言うのではないか?

 

私も同列ということだろうか?

 

これがここ数日のことです

 

考えたこと

物差し

考えていくと

様々な受け止めと
意見と正義があります

 

何が正しくて
何が誤っていて
どうするのが一番いいのか?

 

その判断も

個々人が持っている
物差しによって
違ってきてしまいます

 

宗教戦争
革命
クーデター

 

決定的に違う何かを前に
では物差しが違うということで

私たちは決裂するしか
ないのでしょうか?

 

行きついたこと

話し合えば分かり合える
とよく言われますが

本当に話し合えば
分かり合えるのでしょうか?

 

「正義感を振りかざしている」
と言われて
私は考えてしまいました

 

そして結論を出しました

 

ある意味
分かり合えなくていい

 

相手が自分と違う考えを
持っていると認めるだけで
いいのではないか?

 

ポイントはどこか

自分が大切に思っていても
相手にそれを大切にしろと
言うのは傲慢ではないか?

 

自分にとってはどうでも良くても
相手にとっては大切なことだと
認める気持ちがあれば

批判も非難も出ないし
ましてや自分の価値観を
相手に受け入れさせようと
苦労する必要もない

 

たったそれだけのことに
気が付かなかっただけで

今までどれほどの
いらない労力を
使ってきてしまったことか

 

損失はそれだけでは
ありません

すれ違う主張を
くり返すだけで

大事な関係性が
信頼に基づかない関係に
なってしまっていたかも
しれないのです

 

あなたと私の間にあるもの

そこにあるもの

私と私以外の誰かは

 

育った環境も
見てきた事象も
体験も感じ方も
違っています

 

学んできたこと
受け止めてきたこと

 

同じ環境で育った
兄弟姉妹でも

別人格で性格も違いますから
親の接し方が違います

 

一つ間違えると
自分の中にも
違う自分が
いるかもしれない

 

それらすべてが
あなたと私の間に
あるのです

 

違うことを否定する

このように考えると

 

「違う」ということで
否定し合うのは

とてもばかげています

 

自分以外のすべての人を
否定しなければ
ならなくなります

 

山奥にこもって自給自足で
だれにも会わずに

経済活動もしないで

 

それが一番心穏やかに
生命として生きていく
方法ということになります

 

違うと認識する

誰かと同じである
必要はないのです

 

違う考え方
違う物の見方
違う意見

 

それらが「ある」
という事実を認める

 

誰かを自分と同じに
しなければならない

それはただの傲慢です

 

集団のルール

集団の目的

ここでひとつ
忘れてはいけないことが
あります

 

あるルールによって
存在している集団で

ルールからはずれた
考えをもっているなら

その集団にいられない
ということです

 

この場合のルールとは
その集団の目的です

 

目的が変わって
きている気がするなら

集団を構成する
ひとりとして声を出す

 

どうしても
自分が思って入った集団と
目的が違っているなら
集団から離れるだけです

 

その集団が
公序良俗に反しないなら
不必要にその集団を
否定することはないですよね

 

ルールが違う

小山田氏と小林氏に
話を戻します

彼らがなぜこれほど非難されて
職を辞するに至ったのか

 

答えは簡単です

 

彼らが思っていたルールと

多くの人が思っている
根底にあるルールの間に
齟齬があったから

 

彼らが引き受けた
今回の仕事は

 

彼らがやったことの
根本にあった彼らのルールで

引き受けてはいけない仕事

 

だと判断した人がたくさんいた
ということだと思います

 

【結論 何がずれていたのか?

小山田氏と小林氏が
今までどういう環境で
生きてきたのか

知らないのですが

 

色々な意味で

「今回の仕事を
引き受けても問題はない」と

判断したことが

 

多くの人の考えていた
ルールをはずれていた

 

結果として
職を辞するという
ある種の処罰が課せられた

 

それが事実です

 

では何が違っていたのか?

 

執拗に人格否定(心を殺すこと)
を続けた小山田氏

 

ユダヤ人大量虐殺という
目も当てられない史実を
揶揄した小林氏

 

そう考えてみると

人間社会という
集団に生きながら

 

「人を殺すのはいけないこと」
という基本中の基本を

彼らが理解できていなかった

 

ということに
つきるかもしれないと
そんな結論が出てきたのですが

あなたはどう思いますか?

 

 

※ この記事は小山田圭吾氏と小林賢太郎氏を
糾弾する目的で書いた物ではありません

 

 

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