社会は人の支え合いでできている 福祉ってなに?

トイレがない家を身内が放置していたその訳は

こんにちは!ノアです。

家族関係は様々です。

遠ざかっていたからといって
家族を疎んじているとは
限りません。

 

なす術がないために
離れていることもあります。

 

田んぼの中の一軒家

その家は田んぼの中に
ポツンと建っていました。

当てになるかどうか
今一確信が持てない
地図を片手に

やっとたどり着いたのです。

まだ風の冷たい4月。

玄関の扉は開け放たれ
入口に立つと
声をかける必要もなく

何もない家の中と

薪ストーブの前に
座っている小さなおばあさんが
そのまま見えました。

 

「こんにちは!
福祉支援員のノアです。」

 

声をかけるとおばあさんは
表情を変えずに
私の方を見ました。

 

後でわかったのですが
彼女はこの時すでに白内障で

私の姿は
<誰かが玄関に立っている>と
ぼんやりわかる程度でした。

 

「息子おらん」

その人は嫌そうに言いました。

 

「少しお話したいのですが」

「いつ帰るかわからん」

「お話できませんか?」

「息子おらんから」

 

私はその人と話したかったのですが
彼女は息子がいないと
繰り返すだけで
とうとうそっぽをむいてしまいました。

 

この家の住民は親子ともに
知的に問題があるらしいことは

前任から引き継いでいたので
無理強いはしないことにしました。

 

正体がわからない
会ったことのない女は

彼女に恐怖を感じさせる
心配があったからです。

 

「では、あとでまた来ます。」

 

私はほかの家を先に
訪問して再来することにしました。

 

トイレがない家?

2時間ほどして再度訪問すると、
家の前には古い自転車があり

私の姿を見つけたのか
男性が玄関に立っていました。

 

名乗った私の立場は
理解したようでしたが、

 

視線は私に合わせず
やはり知的な問題が感じられました。

 

家の中なのにサンダルをはいたまま。

 

玄関にはころがったゴム長靴

 

よく見ると先ほどの老婆は
ストーブの前で新聞紙を広げて
その上に座っているのです。

 

座っている新聞紙の横には
彼女の物らしい

サンダルが転がっていました。

 

「トイレは家の中ですか?」

私は一度目に訪問した時から
気になっていたことを聞きました。

 

玄関にあるそれらしい
ドアが開いたスペースの中は

新聞が一杯に積まれていたのです。

 

「トイレあるよ」

その男性はそわそわしながら答えました。

 

「どこですか」

「その辺に」

 

そ・の・へ・ん?

 

さらに聞きたかったのですが
私は質問をやめました。

 

私と話している間に
彼がどんどん緊張していくのが
伝わってきたからです。

 

職場に戻って前任者に聞いたところ、

「トイレ?ないよ」
あっさりと答えました。

「でもあるって、息子さんが」

「それはトイレの意味が
わからなかったんじゃないか」

 

それを聞いた私は
頭の中が真っ白になりました。

「便所って言えばわかったかなぁ」
前任者は固まっている私を
横目で見てつぶやきました。

 

何が支援できる?

 

それから私は
1~2か月に一回は

 

訪問をして
自分を覚えてもらうことから
始めました。

 

何度か訪問するうちに
お母さんの方は

「入んな」と言って
私のために新聞紙をひろげて

薄くなった座蒲団を
そこに置いてくれるように
なりました。

 

座蒲団の横で靴を脱ぎ

 

「元気ですか?」
「ん」

 

「ご飯食べていますか?」
「ん」

 

「困っていることはないですか?」
「ん」

 

といつも同じ問いかけをして

問いかけられたことを
理解しているのかどうか

わからない答えを聞いて
帰ってきていました。

 

周囲からも情報を集めた結果

知的な問題はあっても
判定に連れて行く人もなく

大きな問題もなく
何とか生活しているので
そのままになっていることが
わかりました。

 

外部との接触も
福祉支援員のみで

 

二人ともいつからなのか
入浴もしていないようだということ

 

健康状態も不明

 

病院に連れて行くには
入浴は必須と思われたのですが

 

入浴も病院も

 

息子は行く可能性があっても
母の方はなにをされるか
わからない恐怖で

パニックになることが
想像できました。

 

取り敢えず私と保健師で
訪問を繰り返すしかなかったのです。

保健師は保健師で
信頼関係ができて

血圧を測れるようになるのに
半年かかりました。

 

とにかくはじめてのことは
親子にとって恐怖のようでした。

 

現れた家族

その家に行くようになって
1年くらいたった頃
だったと思います。

 

私は1本の電話を受けました。

 

「Sです。Lの長女です。」
電話の相手が言いました。

「Sさん?」

問い返しながら
はじめは信じられませんでした。

 

娘がいるらしいとわかり
手紙を出したのは
随分前のことだったのです。

 

「忙しくて連絡が遅くなりました。」

彼女はそう言いました。

 

その時の私にとって
連絡が遅れたことなど
どうでもいいことでした。

 

実家には数年間
姿を見せていないらしいと
聞いていた人です。

 

手紙の返事がなく
関係者は「やはり」と
思っていました。

 

劣悪な状態の母や弟から
何年も遠ざかっている人を

当てにするのは無理があると
私を含め関係者はみんな
思っていたのです。

 

その人が連絡をくれたことで
事態がどれだけ進むことか。

 

身内の同意や協力があれば
できる支援はまったく違います。

 

病院も身内の同行があれば
本人も素直に行くかもしれませんし

多少抵抗しても
身内が同行するなら
連れて行くことができます。

 

私は先行きが急に晴れたのを
確かに感じたのでした。

 

家族の立場

 

何か支援が必要な時

支援者たちの
思惑よりも何よりも

身内の立場が最強です。

 

特に判断能力があるかどうか
危うい時の身内の同意は

虐待などの特殊なケースを除いて
絶対的な力になります。

 

それは裏を返すと

「放っておいてくれ」
と身内に言われたら

誰も何もできないということです。

 

この家も長く放置されていたので
身内がもし構わないでくれと言ったら
ということも考えました。

 

しかし冷静に判断すると

もし身内に言われて
何もできないことになったとしても

今までの状態が
続くだけのことですし

 

身内の協力が得られれば
事態は好転するのです。

 

結果的には思い切って
身内と連絡を取ったことで
支援が大きく進展しました。

 

その後お母さんは
高齢者の施設に入所し

息子は障がい者の支援を
受けられるようになったのです。

 

後で聞いた話では

お母さんや弟のことは
娘も何とかしたいと
ずっと思っていたとのことでした。

 

ただ、どこに相談したらいいのか

 

何をどうしたらいいのか

 

「困惑しているうちに
足が遠のいてしまったんです。」

と話してくれました。

 

娘の話を聞いてもっと早くに
こちらから連絡していたら

そう考えると
申し訳ない気持ちで
いっぱいになりました。

 

解決の糸口は
どこにあるかはわかりません。

 

特に家族関係もその思いも
複雑です。

 

私たち支援者は
クライアントに対してだけではなく

迷い戸惑う家族に対しても向き合い
支援する者でありたいと
願っています。

 

 

 

 

 

 

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