社会は人の支え合いでできている

その人は何を夢見ていたのか 帰れない故郷

投稿日:2018年12月1日 更新日:

こんにちは!ノアです。
Jさんのことを
お話しします。

 

はじめての訪問

Jさんは内縁の奥さんを亡くした、
一人暮らしの男性でした。

年齢は88歳。

初めて訪問した時
小さい台所のコンロに

使ったフライパンや
ご飯を炊いた鍋もあり

ちゃんと料理もしている
様子がうかがえました。

週に一度ヘルパーさんが
お掃除に来てくれて

調度品が少ないこともあって
高齢単身の男性にしては
片付いていました。

ストーブの横には
からからに乾いた
ミカンの皮がありました。

「この皮どうするんですか?」

「風呂に入れるんだ」

「お風呂に?」

「死んだかかあがそうしてたから」

Jさんが視線をやった先には
大きな仏壇がありました。

「りっぱな仏壇ですね」

「そうか?」

奥さんの遺影はありませんでした。

「息子さんがいらっしゃるのですね」

私は前のJさんの担当者から
引き継がれた書類を見ながら
次の話しの糸口を探しました。

「ああ」

「うちの書類に、
息子さんの連絡先がないのですが
わかったら教えてもらえますか?」

「知らん」

「知らない?」
わたしはちょっと驚きました。

そしてJさんの答えに
もっと驚きました。

「俺も息子も、
引っ越したからわからんくなった」

は、はい???

「お互いが引っ越しているうちに
わからなくなったのですか?」

「そうだ」

その時私が思ったのは

そんなことがあるの???

いや、あっていいのか???

というものでした。

 

道で会った時

それから2か月ほどたった時
街中でJさんを見つけました。

自転車に乗って
ゆっくりゆっくり走っていました。

私は車を停めて
「Jさん」と
声を掛けました。

Jさんは自転車を停めると

「あん?」

とこちらを見たのですが

私が誰かわからないようだったので
「相談員のノアです」と告げると

「ああ....」
関心がなさそうに答えました。

自転車のかごには
野菜が見えるビニール袋が
入っていました。

「お元気でしたか?」
「ああ」

「買い物ですか?」
「ああ」

「食事、ちゃんと作ってるんですね」
「ああ」

何を聞いても返事は
「ああ」だけ。

「また近いうちに伺いますね」
「ああ」

「何か困ったことがあったら
いつでも連絡くださいね」
「ああ」

その日はそのまま
お別れしました。

 

入院してわかったこと

訪問したヘルパーさんの通報で
自宅で倒れていたJさんが

救急車で病院に運ばれたと
連絡をもらったのは
その数日後でした。

担当の保健師さんが
すぐに病院に行き

主治医に会って聞いた話を
電話で教えてくれました。

倒れた原因は
栄養失調でした。

「でも、料理していましたよね?」

「そうなんです。
ヘルパーさんの話しでも
生ごみとかもあって

本人に聞いても
お肉や魚もちゃんと食べていたって
言うんです。

嘘をつく理由もないし」

「私も先日、
買い物帰りのJさんに会いました。
ちゃんと食品を買っていましたよ」

二人で情報を合わせても
理解できないことばかり。

「3日後に検査結果が出るようなので、
結果が出たらお知らせします」

保健師さんも私も
これ以上何も出てこないと結論付けて
取り敢えず電話を切りました。

3日後に出た検査結果は
悪性腫瘍でした。

いくらちゃんと食事をしても
栄養がまったく吸収されないくらい
進行していました。

身内の連絡先を問われたので
私の方で探してみることにして
電話を切りました。

翌日、Jさんのが入院する
病院を訪問し

「Jさん、息子さん探してみますね」
とお話すると

Jさんは
「息子、会いたい」と答えました。

これは何とか探し出して
会わせてあげたい
改めてそう思いました。

 

すべての真実

Jさんの息子さんを探すのに
時間がかかると覚悟していましたが

あっさりとわかりました。

住所と名前で電話番号もわかり
すぐに電話をしたのですが

留守番電話に切り替わりました。

私は福祉相談員で
Jさんを担当していること

Jさんが入院したこと

連絡がほしい旨を
メッセージに残しました。

息子さんは翌日、
電話をしてくれました。

「お電話をいただいたMです。」

落ち着いた声でした。

「ご連絡ありがとうございます。
おとうさんのことで....」

言いかけた私に
「父ではありません」
Mさんは言いました。

「Mさんですよね?」
私は問い返しました。

「私は間違いなくMですが、
Jは母と私や弟を残して
女といなくなった人です」

「えっ?あの…」

私は言葉を続けられませんでした。

Mさんの口調は
淡々としていました。

話しぶりも知的な言葉使いと
落ち着きでした。

「ですから、そちらに行く気はありません。」

「もう、会えなくなるかもしれませんよ。」
そう言うのが精一杯でした。

「構いません。私にとっては、
もういない人ですから。」

「では、万が一の時には
お知らせしますので。」

「いえ、もうどうなっても
連絡はいりません。

ご迷惑なのは承知していますが
そちらでどうとでもしてください。」

丁寧に告げると
「失礼いたします。」
と電話は切れました。

そういうことでした。

事実を聞いて受話器を置くと
私はため息をつくしかできませんでした。

Jさんが亡くなったのは
それから間もなくです。

JさんにはMさんが
見つかったことは
言いませんでした。

痛みを抑える
モルヒネを使用して

意識ももうろうとしていたようなので
話してもわからなかったかもしれません。

Mさんには電話をして

留守番電話に
Jさんが亡くなったこと

葬儀はこちらで
Jさんの知人が行う旨の
メッセージを残しましたが

Mさんからは
とうとう折り返しの電話は
来ませんでした。

後で看護師さんに聞いた話しでは
「息子さん、見つかるといいですね」
とJさんに言うと

天井を見たまま
「ああ」
としか言わず

自分から息子さんの話をすることも
なかったそうです。

息子さんに会いたい気持ちは
本当だったにせよ

Jさんが息子さんが来ると
思っていたのか

来ないだろうと
思っていたのか

知るすべはありません。

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