こんにちは!ノアです。
どこででも手軽に
コーヒーが飲める時代ですね。
でも喫茶店に行かないと
コーヒーが飲めない時代が
ありました。
昭和40年代後半
1972年にガロの
『学生街の喫茶店』が
大ヒットしました。
日本は高度経済成長期を経て、
戦後の焼け野原から
すっかり復活したあと
田中角栄総理が
日本列島改造論を
政策にかかげ
その影響で
物価があがったうえに
1973年に中東戦争が
勃発すると
オイルショックが
日本を襲いました。
なにやらあれこれ
世間が騒がしかった
そんな昭和の時代。
私が通学していた
高校があった街は
周囲に炭鉱が多かったことなどから
交通の要所となっていました。
国の政策で、
炭鉱が次々と
閉山に追いやられていくなかにあって
人口9万人程度の街でしたが、
高校が5校、
大学が2校、
短大が2校ある
学生の町でした。
純喫茶
高校のサークルは
新入生の歓迎会を部室で行い、
2次会は喫茶店
というのが定番コース。
親と一緒じゃない
喫茶店デビューは
高校の先輩に
連れて行かれた時で、
大人の世界に
一歩近づいた気がしたのを
よく覚えています。
田舎だったこともあり
ミスドもマックもファミレスも
セブンイレブンも
まだ行動半径にはなく
コーヒーを飲むのは
喫茶店でした。
ドアを押して喫茶店に入ると
コーヒーの香りが溢れ
おしゃべりをしている高校生や
デート中の男女などがいました。
メイン道路は
数メートルごとに
喫茶店があるような有様でしたが、
それでもそこそこ
学生が入っており、
閑散としたお店は
めったに見ませんでした。
喫茶店のメニューは
コーヒーと紅茶に
ジュースが数種類
デザートは
アイスクリームかクリームソーダ
軽食はトーストと
せいぜいホットケーキ
『純喫茶』
という呼び方を知ったのも
この頃でした。
お酒が置いていない
女子高生も
安心して出入りできる
『純喫茶』はそんな店でした。
ジャズ喫茶
ジャズ喫茶は大人の空間で
入っていくのに
ドキドキする店でした。
地下にあったり、
妙に奥まったところにあり、
薄暗くて音楽が大音量で
かかっているところ。
男の人が腕を組んで
うつむき加減になり
無言でじっと音楽を聴いている。
その空間にいると
息もできなくなるような
そんな緊張感がありました。
ですから
ジャズ喫茶に初めて行ったのは
大学生になってからです。
ジャズってどんな音楽なんだろうと
興味をもっていたところ
ジャズミュージシャンの
ジョン・コルトレーンと
ウイントンケリーの名前を
知りました。
どんな楽器を
演奏している人かも知らないまま
一度聞いてみたいと
友人に話したところ
ジャズ喫茶で
バイトをしている先輩がいるからと
一緒に行ってくれたのです。
下手なお化粧をして
ちょっとかかとの高い靴を履いて
友人と二人で
恐る恐るおりた階段。
ドアを開くと全身に響く
大音量のジャズ
とても場違いな気がしたのを
思い出します。
コーヒータイム
今はコーヒーも
気楽に飲めるものになりました。
コンビニ、
ファーストフード店のほか
ファミレスには
飲み放題もあります。
それらの空間の利用も、
喫茶店に行くよりも気軽に
できるようになりました。
職場や家でも豆を挽いて
香りの高いコーヒーを
楽しめますし
我が家でも
毎朝コーヒー豆を挽いて
入れたてのコーヒーを
楽しんでいます。
いつでもどこでも
コーヒーを飲むだけなら
気楽に飲むことができます。
ファーストフードのお店なら
小さい時から
親に連れられて行っている
なじみの空間です。
高校生がおしゃべりをしたり
帰りつくまでの
空腹を満たしたり。
値段もそんなに高くなく
手頃です。
でも時々思い出したように訪れる
カフェブーム。
お天気のいい日に
お気に入りの本を持って
落ち着いた雰囲気の
喫茶店に行き
コーヒーの香りを
楽しみながら
本を開く。
肩の力がすっと抜けて
何かが自分の中に返ってくるような
そんな贅沢な時間をくれる空間。
そういう
喫茶店でしか楽しめない時間が
カフェと呼び方が変わっても
ちゃんと引き継がれていくのですね。
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