こんにちは!ノアです。
母の緊急入院から約1か月。
重篤な状態は脱したものの
いつまでも食事を出してもらえず
膀胱にも管をさしたまま。
このまま家に帰ることが
出来なくなる危機に
選択した行動は…
こちらの記事は
【高齢者に家族としてできること】
のひとつです。
この前後のお話は こちら からご覧ください。
とにかく何かを口に入れよう!
食事を出してもらえないので
ネットで色々と調べました。
栄養食品として出されている
液体状のパックは
病院側が液体を飲めると
判断していることを
示しています。
柔らかく喉の通りもいい
ゼリー状の物も考えましたが
もしも気管支にはいった場合
それが一定量を越えていると
窒息してしまいます。
考えた末に
液体状を選択することとし、
母が好きなスイカのジュースを
用意しました。
寝たままだと
何かを口に入れるのは
誤って気管に入るリスクが高まり
とても危険なので
専門家の支持なしでは
絶対にしてはいけないことです。
別な言い方をすると
支えがあっても
体を起こすことが難しければ
食べ物を口に入れるのは
諦めなければなりませんでした。
母はすでに何度か
体を起こしているのを見ていたので
その点で問題はありませんでした。
はじめにベットを起こして
「試しに少し飲んでみて」
とジュースの入ったカップに
ストローを刺して口に運びました。
ところが母はいきなり
ごくごくと飲み始めたのです。
後で考えると
無理もないことでした。
約1か月ぶりの口からの味です。
しかも好きだったスイカの
生ジュースです。
「ちょっとやめて!
むせたらどうするの!」
慌てて言った時は手遅れでした。
母はカップを取り上げようとした
私に抵抗して
とうとう一息に全部
飲んでしまいました。
私も乱暴でしたが
母はもっと乱暴でした。
大げさな言い方をすると
これが飲めないなら
死んだ方がましと言わんばかりの
みごとな飲みっぷりでした。
食べ物を口に入れたら
すぐに横にするのも危険です。
食べ物が逆流する可能性があり
それが気管支を抜けて
やはり肺炎をおこすことがあります。
取り敢えず飲み物が
普通に飲めることは
十分にわかりました。
「明日、また買ってくるね。」
私は母と約束しました。
家に帰ろう!
母の様子を見てベットを戻し
私には次の大仕事が
待っていました。
現状を母に告げることです。
「今、お母さんは
全身の筋肉が落ちていて
ベットをおこして
座っているのも
大変だったと思う。」
母はうなずきました。
「このままここを退院しても
すぐに家に帰るのは
無理だから。」
「一度、病院を移って
ある程度リハビリーをして
その後施設で体を慣らして
それから家に帰るように
考えてるから。」
一気にそこまで話すと
母の目にみるみる
涙が溢れてきました。
その時に私は次の決心をしました。
このまま寝たきりにはしない。
絶対に家に連れて帰ると。
行く先を探す
主治医には2週間に1回くらいの割合で
面談していました。
母の持病については優れた専門医で
長い付き合いの患者でしたから
本当によく面倒をみてくれたと
思って感謝しています。
病院が休みの土曜日でも
面談に応じてくれました。
ゴールデンウイーク明け頃から
検査をするようになり
(検査も体力がいります)
そろそろ行先の検討の話が出たのは
5月20日頃でした。
勤務地にいる間に予め
ネットで転院先の病院を探して
幾つか候補を決めていました。
家からも近く
母の持病の専門病院で
回復期のリハビリテーションを
行っている病院を見つけたので
転院の話が出た週末に
兄と夫と三人で見学に行きました。
病院のソーシャルワーカーが
病院内を案内してくれたので
今の母の状況
回復期のリハビリテーションを
希望していることを話しました。
回復期の病棟に空きがあり
個室も可能であることも聞き
こちらに転院したいことを
主治医に相談する旨も伝え
ておきました。
主治医にはその週明けに面談して
転院したい病院を話したところ
主治医も知っている医師ということで
すぐに相談すると約束してくれて
転院がスムースに行きそうだと
少し安心しました。
ところがこれは
甘い考えだったのです。
提示されたこと
主治医に次に会ったのは
その週末でした。
すぐに希望する病院に
連絡をしてくれたのですが
先方からの回答は
リハビリテーションのための
回復期病棟ではなく
医学的管理をするだけの
療養病棟でなら
受け入れるというものでした。
療養病棟だと
リハビリテーションは
してもらえても最低限です。
寝たままだと拘縮と言って
手足の筋肉が落ちるだけではなく
筋肉が機能しなくなることで
関節が動かなくなっていきます。
そうなるのを防ぐために
理学療法士や作業療法士が
リハビリテーションを
してくれるのです。
何よりも療養病棟だと
帰宅はほとんど望めなくなります。
お腹の管も抜いてもらえませんし
一時的に食事が食べられたとしても
やがては点滴や鼻からの管での
栄養補給になるのが
お決まりのコースです。
それは本人も家族も
一番望まなかった
管だらけで生きながらえる
ということにほかなりませんでした。
本人にはこの話はしませんでした。
もうあなたは回復は無理です。
あとは寝たまま生命維持を
するだけです。
あなたの生命維持について
病院はできるだけのことは
しますから安心してください。
そう言われたと母に伝えるとすると
本人が危篤の時くらいだと
私たち家族は思っていました。
「折角、ご紹介いただきましたが
リハビリテーションもしないで
療養病棟に転院させるつもりは
ありませんので
別の病院を当たってみます。」
主治医にはそう話して
療養病棟の件はお断りしました。
その日のうちに
私たちは転院先として
リストアップしていた
次の病院に相談に行ったのです。
さあ、次の病院はどうだったのか。
続きは次回でお話します。
この前後のお話は こちら からご覧ください。
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