社会は人の支え合いでできている 高齢者の生活 家族にできること

どうあってほしいか人の生涯と向き合うお葬式

こんにちは!ノアです。

お葬式は
今生での別れの儀式です。

しかし、
時代の波に押されて
形も変化しているようです。

映画 お葬式

1984年に俳優の故伊丹十三さんが

監督として初めて作成した
『お葬式』という映画があります。

 

妻の父のお葬式で
喪主をすることになった俳優を主人公に
お葬式をコミカルに描いた作品です。

 

山崎務さんや宮本信子さん、
菅井きんさんや大滝秀治さんなど

ベテラン俳優がいい味を出している
名作です。

 

初めて取り仕切ることになったお葬式で
ビデオテープを使って
遺族のマナーを調べる場面など

現実にこんなことも
あるかもしれないと

 

思わされる場面も
盛り込まれており

突然の出来事に
混乱する様子も

リアルを感じさせました。

 

葬祭の変化

最近は終活という言葉もあり

子供がいない夫婦の増加や

ある程度の年齢まで未婚で
そのまま終焉を迎える
可能性があると考える人

 

出来るだけ自分で
準備をしようという考え方など

色々なことについて
自分で備える時代になってきたと
言えるかもしれません。

 

単に身辺を整理しておくだけではなく

自分が亡くなった時はどうするか
あるいはどうしてほしいかまで
弁護士に委託しておいたり、

 

検体の手配をしておいたり、

様々な方法が選択肢としてあります。

 

葬祭についての考え方も
大きく変わりました。

 

村八分という言葉は
仲間外しの意味で
なじみのある言葉ですが

元々は制裁のために
火災と葬祭以外は助けない

という意味であることは
良く知られているところです。

 

葬祭の時は手を貸すというのは
亡くなってしまったら裁けない
という意味と

遺体を放置することで
疫病などが発生すると
巻き込まれるため

そのような事態を
防ぐためだったようです。

 

ですから葬祭は
村八分になっていてさえ
助けなければならない
大事な事態でした。

 

御香典も葬祭という
急な出費に対して

お花代やお香代という形で
援助する意味合いがありました。

 

先にお話ししたように

最近はお葬式の費用も
予め準備されていることも
増えてきているためか

「御香典を辞退させていただきます」

「お気持ちだけいただきます」

というケースもあり

 

それでも出さないと
失礼だという人と

逆に出す方が
失礼だという人もいるなど

迷うところです。

 

この辺りは、
建前と本音や、

察する文化がある
日本ならではの

迷いかもしれません。

 

ドライブスルー

社会の高齢化が進み

お葬式の参列者も
高齢者が増えました。

 

親しかった方に
最後のお別れがしたい
という気持ちがあっても

 

足が悪くて
正坐ができないとか

階段をあがれないので
ひとりでは行けないとか、

 

なかには行くと
かえって迷惑をかけるから

と遠慮をする人も
いるということです。

 

このような状況がありますから

最近はお寺でも参列者は
椅子席になったところも増えました。

 

またニュースで見たのですが、
車の乗り降りさえ

大変な高齢者のために

ドライブスルーで車に乗ったまま
お焼香ができる葬儀場ができたとか。

 

流石にそこまでいくと
礼儀に反するのではないか

との批判も
あるようですが

 

私は素晴らしい試みだと
思いました。

 

亡くなった方を
忍びたい気持ちがあって

しかし体が不自由だからと
お焼香もできないという
哀しい気持ちを受け止められる

 

素晴らしい発想だと
思うからです。

 

義理の付き合いであれば
誰が無理をして
不自由な状態で
葬祭に行くでしょう。

 

多少無理をしてでも

参列したいと思う人のために
助けになるシステムだと思います。

 

葬祭ビジネスに思う

職場の同僚のお父さんが亡くなり
お葬式に行きました。

 

読経がはじまり少しして
私は信じられない光景を
目にしました。

 

僧侶の斜め左前方で
参列者に対して斜めに
演壇を置いた司会者が、

その場に立ったままで
書類のチエックを始めたのです。

 

幸いなことに遺族席から逆の位置だったので
気が付いた遺族はいなかったと思うのですが

書類をめくり、ペンで何かを書いたり
ペン先で文字をなぞったり。

 

僧侶も気が付きチラチラ見ても
当の司会者は気づく様子もなく
自分の作業に没頭していました。

 

死者を悼む気持ちも
遺族に寄り添う気持ちも

かけらも感じられないその姿ほど
その場に不似合いなものは
ありませんでした。

 

その司会者はもしかすると売れっ子で
前の仕事が終わった後、
大急ぎで駆けつけて

進行をチエックする時間が
なかったのかもしれません。

 

しかし読経、僧侶のお話など
30分はあったはずです。

 

なぜ席を外して裏の方で
作業ができなかったのでしょうか。

 

プロだからミスを犯さないための作業です。

 

しかしプロだからこそ
やってはいけないことだったのではないかと
思わずにはいられませんでした。

 

人一人の人生が終わるという事実は
軽いものではないことは言うまでもありません。

 

だからこそ自分で備えたり
遺族もちゃんと送り出したいと思うのです。

 

葬儀社もビジネスです。
それも需要がなくなることのない
ビジネスと言われます。

 

『遺族の心に寄り添います』

という言葉の重みを
葬祭ビジネスに関わる人には

しっかりと認識して
ほしいと願うばかりです。

 

 

 

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