社会は人の支え合いでできている

戦争を知らない子どもから神風世代に送る鎮魂歌

投稿日:2018年11月2日 更新日:

こんにちは!ノアです。
時は間もなく平成が終わろうとしている今、

戦争を体験した人も
随分と少なくなりました。

戦争体験をほとんど語らなかった父から
娘の私が感じた戦争をお話します。

 

墨で塗りつぶした写真

私の実家には
戦前の教科書がありました。

 

その中の一部の写真が、
墨で真っ黒に塗りつぶされている
教科書です。

 

終戦時に新任教員だった父が

文部省からの通達により
生徒に塗りつぶすことを指示し

自分も一緒に塗りつぶしたという
国語の教科書でした。

 

戦艦大和などの写真が
掲載されていたようですが

父が何を思って
その教科書をずっと持っていたのか
聞いたことはありません。

 

塗りつぶした時は「悔しかった」
と話していたことはあるのですが、

何がどう悔しかったのか
私にはわかりませんでした。

 

 

徴兵制度

私の亡くなった父は、
昭和元年生まれです。

 

軍国主義が台頭する時代に
多感な時期を過ごしました。

 

旧制中学から師範学校に進み
19歳で教師になりました。

 

父の父つまり私の祖父も
師範学校を卒業して
教職についていたため

父はなんの疑問もなく
師範学校に進学しました。

 

しかし師範学校に
進学をさせた祖父には

思惑もあったのではないかとは
父の後日談です。

 

何故なら、国民教育のために

優秀な教員は
残す必要があるということで、

師範学校を卒業した教員は

徴兵期間が6週間だったのです。

 

祖父は日本が資源を求めて
どんどん他国を侵略して行き
とうとうアメリカとの開戦に踏み切った時

 

「日本はこの戦争に負ける」

と父に言ったそうです。

 

父は祖父は凄いことを
口にすると思ったとか。

 

当時、祖父は小学校の校長でしたし、
そんな発言を誰かに聞かれでもしたら、

たちまち憲兵が現れて
大変なことになっていたでしょう。

 

それがわかっていましたから
勿論家族は祖父のそんな言葉を
誰にも話しませんでした。

 

 

亡くなった人たち

私が高校生の時でした。

 

何かの拍子に
父の古いアルバムを見つけました。

 

開いてみると
何人かの若者の写真がありました。

 

通りかかった父が

「ああ、旧制中学の時の写真か」

と言って一枚の写真を指差しました。

 

袴姿で腕を組み
しっかりとした眉の
意志が強そうな顔立ちの青年でした。

 

「こいつは中退して予科練に行って
南洋で戦死した」

父はさらりと言いました。

 

『えっ?父ちゃん
、突然何を言い出すの???』

 

私の戸惑いに構わず
父は次の写真を指差しました。

 

「こいつは早稲田に進学したが、
学徒出陣で沖縄沖で戦死した」

丸い眼鏡をかけた澄んだ眼の
秀才肌を感じさせる青年でした。

 

そして次の写真。

「こいつはゼロ戦に乗って
特攻隊になって戦死した」

 

日本にそのようなことがあったことは
知識としては知っていました。

 

若者が飛行機ごと
敵艦に突っ込んでいく映画も
見たことがありました。

 

でも、若い父と肩を組んで
楽しそうに笑っている青年たちが、

この数年後に戦争で
次々と命を落としていったという事実は
あまりにもリアルだったのです。

 

「みんな死んでったな」

父の声に感情は感じられず、
そのことが事態をより重く
私に伝えていました。

 

生き残った者たち

父は戦争のドキュメンタリー番組などが
テレビで放送されはじめると

必ずチャンネルを変えました。

 

一緒に沖縄にいった時も、
戦跡は行きたくないと言っていたので

案内しようとするタクシーの運転手さんには

私があらかじめ
「戦跡には行かなくていいです」と
伝えていました。

 

ところが南部に行った時ふいに

「ひめゆりの塔に行ってください」

と言い出したのです。

 

どうしたのかと思い後で聞いたところ、

「沖縄の人たちは、
本土の犠牲になったようなものだ。

ここまで来て戦跡は見たくないというのは
沖縄の人たちに失礼だと思い直した。」

と父が言いました。

 

その時は「ふうん。そんなものなんだ。」
としか思わなかったのですが、

後日その時の私の思考が
どれほどの不遜な態度だったのか

気がついた時は、
いたたまれない思いで一杯になりました。

 

第二次世界大戦の敗戦から、
73 年が過ぎました。

体験した人も次々と亡くなり、
それは多くの人にとっては
通り過ぎた歴史の1ページのようなもの
かもしれません。

 

そして事実、
歴史の1ページになっていくのでしょう。

 

父は戦争の話はほとんどしませんでした。

ここにお話しした出来事が、
彼が戦争体験をどう受け止めていたか

見聞きできたすべてと言っても
いいかもしれません。

 

今、私が推測で語ることが許されるなら、

教科書を墨で塗りながら父が感じた悔しさは、

 

母国が戦争に負けたということにも増して、

多くの友人たちがこの戦争のために、
若くして命を落としていったのは
何のためだったのか

 

ということだったのではなかったかと
思わないでいられないのです。

 

父の旧制中学時代の同期会は
一度も行われていません。

 

 

 

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